(初出2002年4月10日)
注意点として、本書の「イントロダクション」にもある通り、この本は表面的な様式的特徴、すなわちピッチ、テンポ、音量、楽器編成等など、ポピュラー音楽業界が黄金時代のヒット曲の数々を目新しく見せかけるために使ってきた一般的なあの手この手を、分析する本「ではありません」。
現在みられる(アメリカ)ポピュラー音楽の特徴の多くは19世紀までに出揃っているという視点から、ヨーロッパ系音楽(いわゆるクラシックや、民謡、大衆音楽)とアフリカ系音楽の歴史を辿ります。そして、現在のポピュラー音楽がどのようにして生まれるに至ったかを、単なる文化論としてではなく、実際の音楽(譜例)を元にした実証という形で説いていくという内容になっています。
例えば、今でこそブルースを「奴隷の悲しみ」という短絡的な感情論で説明されることは無くなりましたが、アメリカへの移民達の音楽(イギリス音楽等)の音楽的影響に踏み込んだブルース論は類を見ないもので、大変刺激的です。また、「パーラー音楽」というヨーロッパ大衆音楽を取り上げている点も見逃せない特徴で、これらがポピュラー音楽という一つの大河に集約されて行く流れは見ものです。
著者は「ポピュラー音楽の分析における表面的な様式的特徴、すなわちピッチ、テンポ、音量、楽器編成といった要素や、ポピュラー音楽業界がヒット曲を新しく見せかけるために使ってきた一般的な手法を分析対象としない」と明言しており、マトリックス(鋳型)という概念を用いて論を進めていくことが特徴的です。例えば、最も単純なマトリクスとしては、固定された音、明確な音程、規則的な拍子を挙げ、より複雑な例としてバロックフーガ、古典的調性、ロマン派の半音階主義を挙げています。
著者の批評と分析は、より深層的な音楽の根源を追求する姿勢を示しており、著者曰くその目的は、ブルース、ラグタイム、ミュージックホール、ワルツ、マーチ、パーラーバラード、フォークミュージックなど、西洋ポピュラー音楽のあらゆる形式を広範に調査し、これらの多様なスタイルを統合する共通の音楽言語を解明することにある──とのことです。
その結果として導き出される、ヨーロッパ系音楽とアフリカ系音楽の二つの流れからアメリカ音楽へ至る流れの明示と、豊富な実例に裏付けられたその丹念な検証は、本書の肝と言えるでしょう。
音楽を見つめるための「新しい足場」に立つと、まさに「景色が違って見える」ものです。本書が、学閥や業界から遠い位置にいる著者によって書かれたことは象徴的です。
『ポピュラー音楽の基礎理論』の目次
- まえがき/訳者まえがき/目次/イントロダクション/譜例についてのメモ
- 第 I 部 歴史的背景
- I A ヨーロッパと中近東
- 第1章 古代から中世へ
- 第2章 ヨーロッパ音楽
- 第3章 イギリスの民族音楽
- I A ヨーロッパと中近東
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- I B アフリカ
- 第4章 アフリカから伝わったもの
- 第5章 アフリカ音楽の原理
- I B アフリカ
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- I C 北アメリカ
- 第6章 白人と呼ばれる人々
- 第7章 黒人と呼ばれる人々
- 第8章 楽器による音楽
- 第9章 ヴォーカルによる音楽
- I C 北アメリカ
- 第 II 部 理論的基礎
- 第10章 マトリクス(鋳型)
- 第11章 調性と旋法
- 第12章 全体の構成
- 第13章 ビート
- 第 III 部 ブルース
- I A ブルースの独自性
- 第14章 アメリカ音楽でのブルースの位置付け
- 第15章 ブルース旋法と12小節形式
- I A ブルースの独自性
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- I B ブルースの起源-アフリカ
- 第16章 アフリカのブルース旋法
- 第17章 トーキング・ブルース
- 第18章 ブルースの伴奏
- 第19章 アフロ=アメリカ音楽のリズム
- I B ブルースの起源-アフリカ
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- I C ブルースの起源-イギリス
- 第20章 イギリスのブルース旋法
- 第21章 「フランキー」などの12小節ブルース
- I C ブルースの起源-イギリス
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- I D ブルース・ハーモニー
- 第22章 グレゴリ-・ウォーカーの歴史
- 第23章 そのほかの初期ハーモニー
- I D ブルース・ハーモニー
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- I E 12小節ブルースの謎
- 第24章 ブルースの奇妙な勝利
- 第25章 12小節形式とブルースの本質
- I E 12小節ブルースの謎
- 第 IV 部 パーラー音楽とラグタイム
- 第26章 パーラー音楽の旋法
- 第27章 パーラー音楽のハーモニー
- 第28章 パーラー音楽のリズム
- 第29章 ラグタイム
- 最後に思うこと/訳者あとがき
- 事項名・人名索引/曲名索引/譜例リスト/引用文献/用語集/原注
著者について
ピーター・ファン=デル=マーヴェ
こんな本を書いてしまったピーター・ファン=デル=マーヴェって、いったいどんな人物なのか。残念ながらそれがよくわからない。原書ペイパーバック版には、南アフリカのナタール・ソサエティ・ライブラリー勤務、とだけ紹介されている。(本書より引用)