レビュー『音楽史17の視座』田村和紀夫、鳴海史生 著

ブックレビュー

(初出2002年4月10日)

本書は、音楽史を単なる歴史的事実の羅列としてではなく、「思想・芸術・社会」との多角的な関連性の中で捉え直そうとする意欲的な試みと言えます。タイトルが示す通り「17の視座」という切り口で、古代ギリシャから小室哲哉に至るまで、幅広い時代の音楽を考察しています。

通常、音楽史は年代順に作曲家や作品を紹介していくスタイルが一般的ですが、本書はそれを大胆に刷新し、各時代の音楽がどのような思想的背景や社会状況の中で生まれ、他の芸術形式とどのように影響し合ったのかを深掘りしています。

第一部では、中世までの西洋世界観に通底していた「“わたし”に先立つ絶対的なものが存在する」という価値観が「“わたし”が神に先立つ」というものへ転換した結果、そこから「“わたし”を探求する旅」が始まっていく──という流れを追っていきます。

ルネサンスにおける「わたし」の目覚めと音楽、バロック期の「感情表出」という概念、古典派における「人格」の表現、ロマン派における「意識=時間=音楽」といったように、哲学的な視点かつ、具体的な音楽分析を通じて音楽の本質に迫ります。

続く第二部では、音楽と他の諸芸術との関連を紐解きながら、音楽の歴史を辿っていきます。例えば、絵画の世界で遠近法が発明された頃、初期ルネサンスの作曲家であるジョスカン・デプレは「通模倣様式」という独自の作曲技法を確立しました。

これは、まさに音楽における遠近法の導入と呼べる画期的なものでした。それまでの音楽では、多くの声部が複雑に絡み合い、聴き手にとって焦点が定まりにくい傾向がありました。しかし、通模倣様式によって音楽は整理され、各声部に奥行き(遠近感)が生まれることで、聴き手はより特定の声部に注意を向けることができるようになったのです。

そしてこうした「遠近法による奥行きと広がり」は、世界を幾何学的な法則のなかに置くと同時に「それを眼差す“わたし”の存在」を規定することとなります。このことが、“わたし”という存在の位置づけの確立につながり、それまでは芸術の主役が神であったものが人間になっていったと著者は述べます。

他にも、印象主義を取り上げ、印象派の画家ターナーのタッチの特徴とドビュッシーのオーケストレーションの共通点とその特徴について考察されています。そこでは「印象派の響きを決定していた要とも言うべき要素は、硬質な音の楽器であり、およそ印象派的でない楽器の用法だった」と指摘されており、具体的な曲を通じてそれを明らかにしているのが興味深い点です。

このように各テーマに沿って縦横に音楽史を巡っていくわけですが、改めて特筆すべきは、古代ギリシャの音楽から現代のポピュラー音楽、特に小室哲哉氏の音楽までを射程に入れている点です。音楽の歴史を古典的な枠に留めず、現代の音楽文化と社会までを考察の対象とする著者らの姿勢は、従来の音楽史書にはあまり見られない大胆な試みと言えるのではないでしょうか。

歴史を紐解くということは、現在に至るまでの流れを理解することによって「今」を知り、そのことを通して普遍的なものを見付けること、と言えるかもしれません。音楽史を紐解く時にも、同じような欲求があるのでしょう。そして、それに答えてくれる音楽史の良書も世の中に存在します。

本書はその点、一風変わった視点から音楽史を見つめています。例えるならば、17箇所のタイムマシンの出口が用意されているのです。本書に導かれて、ある時代のある音楽に触れつつ、そこでの著者の問いや考察を共有し、さらにその時代を自らの足で探索して行くか、それともタイムマシンで別の時代へ移動するのかを決めて行く、そんな「点と点の移動」のような自在な音楽史体験が味わえます。

歴史的事実を列挙するに留まらずに著者の考えが述べられている本というのは、個人的にとても好感の持てるものです。著者と共に歩み、共に考えるという感覚は、作曲という一種孤独な作業のなかにおいて一服の清涼剤になり得ると思うのです。

『音楽史17の視座』の目次

  • プレリュード
    • 「音楽」とは何か?-ムーシケーが語るもの
  • 第一部 音楽と思想-「わたし」探しの歴史の旅
    • 第1章 ルネサンス-近代の視点
    • 第2章 バロック-感情表出のための音楽
    • 第3章 古典派-人格の表現としての音楽
    • 第4章 ロマン派-意識=時間=音楽
  • 第二部 音楽と諸芸術
    • 第1章 イタリア・ルネサンス美術と音楽-目覚めた感覚
    • 第2章 総合芸術《魔笛》の世界-古典主義のクリテリア
    • 第3章 文学と音楽の接点-《詩人の恋》におけるロマン的なもの
    • 第4章 絵画と音楽の印象派-光と色彩の饗宴
  • 第三部 音楽と社会
    • 第1章 近代人の出現-ベートーヴェンと「芸術」
    • 第2章 芸術と商品の間で-ショパンとリストの場合
    • 第3章 ブルースからビートルズまでの音楽社会史-若者の「発見」
    • 第4章 日本のポピュラー音楽における女性-音楽とジェンダー
  • 第四部 音楽史の原理
    • 第1章 メディアとしての楽譜-五線譜の意味と意義
    • 第2章 器楽の誕生-音楽の自律化への道
    • 第3章 調性という遺伝子-クラシックとポピュラーを超えた視点
  • ポストリュード
    • モダニズムとポストモダニズムの相克-歴史的発展の原理

著者について

田村和紀夫(たむら わきお)

石川県七尾市生まれ。1981年、国立音楽大学楽理学科卒業、1983年、同大学院修士過程(音楽学専攻)修了。現在、尚美学園短期大学助教授。(本書より引用)

鳴海史生(なるみ ふみお)

青森県むつ市生まれ。1984年、国立音楽大学楽理学科卒業、1986年、同大学院修士過程(音楽学専攻)修了。1988~90年、ドイツ・ライプツィヒに留学。現在、尚美学園短期大学専任講師。(本書より引用)

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プロフィール
Masaharu      

ジャズとクラシックをベースに、実験的なクロスオーバー音楽を作曲。舞台音楽やゲーム音楽の制作経験を活かし、物語性のある音楽を追求。