12平均律の音階を何らかの理論的根拠によって抽象的に組織化し、独自の音楽空間を構成する──。これはある種の作曲家にとって大変魅力的な挑戦となり得る。タイトルチューンである『City of Gravity』(邦題『重力の都』)は、ベーシストで理論家の濱瀬元彦氏の著書『ブルーノートと調性』にインスパイアされ、1999年に作曲された。詳しい理論的背景の説明は本書に譲るが、本曲ではブルーノートスケールがもつ複調性が用いられており、独特のトーナリティ(調性感)をもたらしている。
ゆったりとしたテンポのなか、キャラクターの異なる複数のシンセリードがブルーノートスケールに沿ったメロディーラインを奏でていく。それに対して調性的な距離を測るようにしてハーモニーが流れていき、これらによる複調性がばらばらに解けてしまわないようにとでもいうのか、ベースパートが一貫したスケールを奏で続けていく。
時に、急き立てられるようなリズムに乗せながら、調性感の比較的明瞭なパートに入っていったかと思うと、また複調性の世界へと引き戻される。それを何度か繰り返す内に、潮が引くようにリズムパートが鳴り止み、オーグメント・メジャー7thの響きを伴うアルペジオが鳴り始める。そこへ入ってくるのは、シンプルなブルーノートスケールによるシンセ・ソロである。
この曲で現れる苦み走った厳しい響きも、明瞭で透明な響きも、どちらもブルーノートスケールを母体とした同根の存在であり、複調性が意識されたトーナル・コントロール(調性感の操作)の結果である。
トーナリティには、いうなれば調性引力とも言うべき力が存在しており、音空間のなかで確固とした土台を形成したり、反対にその引力が希薄化・無効化されることで無重力状態のような「足元のおぼつかなさ」を生み出したりする。その意味で『City of Gravity』は、文字通り調性の引力(重力)の存在を意識させられる不思議な響きの世界を味わえる作品と言えるだろう。
続く『Jungle Tester』(2000年に作曲)は一変してシンプルな作品である。一聴してそれと分かる有名なアーメンブレイクのリズムに乗せて、こちらもシンセリードが音楽を引っ張っていく。しばらくハーモニーの変化が乏しく停滞感を感じさせるパートが続いた後、1分過ぎ辺りから違った顔をのぞかせるものの、すぐに再び停滞した元の雰囲気へと戻っていく。
そのままシンセリードによる大人しめのソロが演奏されつつ、停滞と退屈の気配を感じそうになった2分少し前のところで突如、うごめくような早いコードチェンジが現れる。何事かと思ったところで曲はコーダに入って終わりを迎えるが、『Jungle Tester』というタイトル通り、これは作者の試験的な思惑に翻弄されたということなのかもしれない。
ちなみに、この最後の早いコードチェンジは、よく聞くと丁寧に構築された響きの連なりで出来ており、だからこそ独特の音楽的な“うごめき”が感じられるのだと言えるだろうし、そこには作曲者のハーモニーへのこだわりの一端も感じることが出来るだろう。
最後の『Standing Still at Dusk』(邦題『夕暮れに佇む』)は、音楽的展開がコンパクトに収まった掌編とでもいうべき作品で、2007年に作曲されたものである。わずか40秒程の曲中において、各パートの音域推移や音符の粗密感、ハーモニーの流れといった要素がうねるように操作され続けており、曲全体が注意深く構成されていることが伺える。
冒頭の15秒間では、カスケード・スタイル(タイミングをずらしながら徐々に演奏パートが増えていくスタイル)によって、リズム、シンセパッド、ピアノ、トランペットが順に現れ、フォーカスすべき要素を自然に提示し、注意深い聴取をリスナーに促す。
そこからシンセパッドによるハーモニーは音域を上げながら、少し不穏さを感じさせつつも一定の調和した響きを目指して進んでいく。その上ではトランペットが、たどたどしく独り言のようなフレーズを奏でながら、最後のハーモニーの一員となるために短い歩みを進めていく。ピアノも、音数をじわじわと増やしながら、最後は半音階的な下降フレーズによってトランペットの演奏の熱の収束に歩調を合わせつつ、これもまた最後の調和の末席に連なろうとする。
そして曲の一番最後で鳴り響くシンセパッドは、終息感と共に次の始まりを予感させるような、そんな曖昧かつ開かれた明るさのような独特の後味をもたらしてくれる。冒頭では、ほの暗くやや不穏さも感じさせるハーモニーを響かせていたものが、気が付けばこのような響きに到達し、さらにイメージの世界では更なる音世界を予感させもする。
こうしてこの約40秒の小さく短い物語は、リスナーの内に繊細な余韻を残すのである。