(初出2002年4月9日)
音楽という不思議な体験をスピリチュアルに描いた音楽書です。著者の体験から導き出された言葉の数々が穏やかな余韻を与えます。音楽家の心に寄り添うような読書体験をしたい人におすすめです。
著者のピーター・バスティアンは、理論物理学を専攻しながらクラシック音楽(バスーン奏者)を学び、さらに禅やヨガ、民族音楽にも深く傾倒した、非常にユニークな経歴の持ち主です。伝説的指揮者セルジウ・チェリビダッケに師事し、その仏教的世界観からも多大な影響を受けました。
本書は、音楽を音の芸術としてだけではなく、人間の意識、リアリティ、そして存在そのものと深く結びついた霊的な営みとして捉え直そうとするものです。量子力学、分子生物学、禅といった多様な分野の知見を横断的に参照しながら、音楽の深層を探求していきます。
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著者は指揮者の故チェリビダッケに師事したことがあることから、仏教的世界観の影響を大きく受けているようです。音楽をスピリチュアルな面から見つめ、著者が音楽を通して感じたことを、静かにそして率直に語っています。
前半、実際の演奏活動から気付いたことや、理論的事項に対し、「その時、心に何が起きているのか」が僧の説法のごとく語られていく様子は、独特の雰囲気が感じられて類書を見ない点です。その語り口は静かで熱く、軽やかで強いものです。
著者の関心は、音楽を通じて人間の「意識」とは何か、「リアリティ」とは何かを探ることにあるようです。音楽は、論理や言語では捉えきれない、より深いレベルでのコミュニケーションや変容をもたらす力を持っていると考え、その可能性を提示しようとしています。本書の原題『Ind i musikken』は「音楽の中へ」という意味であり、それは単に音楽を鑑賞するだけではなく、音楽を通して自己の内面や世界の深奥へと入っていく旅を意味しているのではないでしょうか。
また著者は、従来の分析的な音楽理論や、音楽を狭い枠組みで捉える見方に対して異議を唱えています。著者は、音楽とは個々の聴き手の「意識状態」として存在するものであり、それゆえに画一的に記述することが難しい──という立場を取っています。これは、彼が物理学の素養を持ちながらも、科学的な還元主義に陥らず、より包括的で多角的な視点から音楽を捉えようとした表れでしょう。
ピーター・バスティアンの『音楽の霊性』は、知識の書である以上に、沈黙に耳を澄ますための書だと思います。音楽を語りながら、音楽そのものに言葉を明け渡していくような語りに身を委ね、そして本書を最後まで読み終わった時には、「自分は音楽から何を感じているのだろうか」と自問することになるのではないかと思うのです。言うなれば本書は「瞑想的音楽書」なのでしょう。
『音楽の霊性』の目次
- 0 序文
- 1 音楽を記す
- 言語/言語の外へ/音楽と言語/音楽を記述する/意識のモデル/明晰さ-曖昧さ-逆説/五度音程を説明することはできるか
- 2 音楽と出会う
- 自我の防衛/自覚/共鳴/音楽性/統一性
- 3 音楽を知る
- 音/基本的な音楽要素の追求/音高(ピッチ)と自然な傾向/音程(インターヴァル)/旋法(モード)音楽/ムスタファ/許容範囲/動き/拍、拍子、リズム/テンポ/実体、力、エネルギー/メロディ/構造/即興
- 4 音楽を表現する
- 技術的な熟練/昂まり(インテンシティ)/内なる心象形成/感情/対峙/模倣と構造
- 5 音楽を受けとめる
- 音楽の表面/音楽の表面下には/音楽の断食/一緒に演奏する/若者・子ども/テイク・オフ……/「現実」の仮面をはぐ/もう一つのリアリティ
- 6 音楽からリアリティへ
- アヴァンギャルド/リアリティの多くの顔/意志/統御-偶然性/知性-感情/愛/時間-現在/生/良いと悪い/選択
- 訳者あとがき
- 音楽用語集
- ピーター・バスティアン ディスコグラフィー
- 著者・訳者紹介
著者について
ピーター・バスティアン
1943年生まれ。クラシック演奏家としても、リズム音楽家としても高い評価を得ているデンマークのバス-ン奏者。両親がオペラ歌手という音楽的環境に育ち、コペンハーゲン大学で理論物理学を専攻すると同時に、王立デンマーク音楽学校でクラシック音楽の正統を学ぶ。
1970年から伝説的指揮者/哲学者であるセルジウ・チェリビダッケに師事、その仏教的世界観に多大な影響を受け、世界中をバス-ンとともに放浪。現在、スカンジナビアで最も優れた室内音楽アンサンブル”デンマーク・ウィンド・クィンテット”のメンバーであるとともに、おそらく世界唯一のエレクトリック・バス-ン奏者として、実験的バンド”バザール”を主宰、そのカテゴリーを越えた音楽的アプローチに注目が集まっている。(本書より引用)