(初出2007年4月17日)
今日は天気が良かったので、携帯レコーダーに作曲中の曲を保存し、それを持ってサイクリングへ行ってきました。
さんさんと降り注ぐ太陽の光の下、眼前には緑萌える山並みと小波立つ湖面。そしてイヤホンを通して聴こえてくる(制作中の)自分の曲。
自宅スタジオとは全く違った環境で作曲(構想)を継続できるというのが、この手法の面白いところです。
十数年前には、よくこういうことをやっていました。永らく遠ざかっていたのですが、最近再び思い出したかのように実践しています。
自分の作曲手法は「デジタル波形を加工&モンタージュ&コラージュすること」が基本なので、最後の出力先(現前させる場)であるスピーカーがあれば、そこが演奏&作曲の場となり得ます。
とはいえ、この手法で作曲の効率化やアイデアの飛躍を求めているというよりは、「“作曲中の曲”という遊び場でより長く楽しく過ごしたい」という思いが先に立っているのだと感じます。
外出先で作曲中の曲を聴くと、ただ何となくワクワクと心躍ったり、曲の続きを即興的に延々と頭の中で鳴らし続けたり、袋小路の行き止まりに愕然としたり等、色々と心がかき混ぜられます。
部屋に戻って続きを作り出すと、外で感じ考えたことは必ずしも反映されるわけではなく、むしろそれは別世界での音楽体験だったかのような感触すら想起させます。
その時の感触は、例えるなら小学生が遠足からの帰宅後に記憶を辿る時のような、「ああ楽しかった。しかしもう終わったのだ」という心地よい疲労感とノスタルジアに似ています。
学校で一緒に遊ぶいつもの仲間たち。彼らと一日だけ非日常的な環境へ出掛ける「遠足」というイベント。
今回その遠足に出掛けてみたことで、クラスの仲間といつまでも遊んでいたいという気持ち、つまり「“作曲中の曲”という遊び場」で長く遊び続けたいという気持ちが強いことを再認識させられた気がします。
曲が完成する時とは、そのクラスでの一年が終わる時です。曲の最終ミックス作業は「クラスのお別れ会」です。ですから、その作業がいつもなかなか終わらないのは当然だったのでしょう。
完成後の燃えつき状態は、春休み期間の所在無さに通じ、同時に新学年&新学期への不安に怯える日々でもあります。
そして希望とやる気と好奇心が充実するにつれ、いつの間にか年は改まり、クラス替えと共にまた新しい曲の制作が始まるのです。