エクスプレッションマップは、とても便利だとは分かっていても、設定に時間をかけたくない機能の筆頭だったと思います。
少なくとも私はそうでした。グループ機能の仕組みを理解するまでに多少の時間がかかり、サウンドスロットの数が組み合わせの掛け算で膨らんでいく構造的な問題に気づいたとき、少し気持ちが引いた記憶があります。
それでも使い続けてきたのは、キーエディター上で奏法を視覚的に管理できる利便性が、手間を上回っていたからです。
そしてついにCubase 15で、そのエクスプレッションマップが刷新されました。
この記事では、アップデートの内容をレビューし、良くなった点と気を付けるべき点について、制作者の目線から解説していきます。
エクスプレッションマップ~何が変わったのか
Steinberg公式の発表によると、今回の改善点は大きく4つに整理できます。
- 編集画面の操作性が大きく改善。
- 発音タイミング・キースイッチ反映タイミングの個別調整が可能になった。
- コントローラー・レーンでのグループ表示の刷新。
- サウンドスロットの「アドオン機能」によりグループ機能が簡単に利用可能になった。
以下、順に見ていきます。
設定画面の操作性が改善され、作業性が大幅に向上
エクスプレッションマップは、Cubase Pro 5(2009年リリース)で登場して以来、大きなアップデートもないままという状態でした。機能の有用性が認められながらも、そのユーザービリティの低さのため評判は芳しくありませんでした。
しかし今回、設定項目のコピーペーストや一括編集といった、編集には必須の操作の数々が可能になりました。
特に、サウンドスロットおよび各設定項目の複数同時編集やコピー&ペーストが可能になったことから、複雑で多量な奏法設定が簡単かつ迅速に行えるようになりました。
正直、遅きに失した感はありますが、ある意味で「満を持して行われたアップデート」ということもあってか、その操作感は良好なものになっています。
タイミング調整が奏法ごとにできるようになった
オーケストラ音源を扱ったことがある方なら、奏法によってアタックのタイミングが微妙にずれる問題に必ず直面したことがあるはずです。
例えば、サスティンとスタッカートを同じ基準で打ち込んでも、実際の発音はそれぞれ異なるタイミングで聴こえてきます。サスティンはレガートの文脈で少し早めに発音させたいし、スタッカートはむしろ記譜通りのタイミングで鳴らしたいものです。
これまでその調整は、ノートのタイミングを個別に手動でずらすか、ロジカルエディターで対処する必要がありました。どちらも煩雑で対症療法的であり、テンポが変わるたびに再調整が必要になるという非効率さを抱えていました。
奏法ごとにトラックを分けて編集するというアプローチもありますが、これだとまた別の煩雑さや困難さを抱えることになります。
そうした状況の中、Cubase 15では、奏法ごとの発音タイミングとキースイッチの反映タイミングを個別にミリ秒単位で調整できるようになりました。これはエクスプレッションマップの設定レベルで行う時間単位での調整なので、一度設定してしまえばテンポが変わっても自動的に追従します。
スタッカートとサスティンのようにボリューム感もタイミングも異なる奏法を、いちいち手で直す必要が無くなるということの意味は、日常的に複数の奏法を使い分けている制作者ほどよく分かるはずです。
タイミング調整の挙動について
タイミング調整は、上記画像の赤い枠で囲った場所で行います。指定したミリ秒単位の時間だけノートオン・タイミングが早くなります。
注意点は、ノートオン・タイミングと同様にノートオフ・タイミングも前にズレるため、意図したタイミングでノートオフさせるためには個別に調整が必要だということです。
元のノート情報が「1番」です。これに対して、タイミング調整パラメータによって前へずらすと「3番」の状態になるということです。
もし、このノートがフレーズの最後だった場合は「2番」の状態になって欲しいところですが、「3番」のようにノートオフも前へズレるため、想定よりも早く音が止まることになります。
この状況への対応としては、ここだけ耳でタイミングを調整するか、もしくはロジカルエディターを使うか、さらには後述の「アドオン機能」を使ってサスティンペダルのグループを作成してタイミングを指定する方法が考えられます。
上記画像は、レガートフレーズの終端を示したものです。
これらの各ノートは、エクスプレッションマップの奏法指示によってノートオン・タイミングが前にずらされており、既述のようにノートオフ・タイミングも同様に前へズレています。
ここでは、その最後のノートにだけ一時的にサスティンペダル・オンの情報を送り(赤矢印の1番)、記譜上のタイミング(青い点線矢印)でペダルオフの情報を送って発音を止めることで、本来のノートオフ情報を一時的に無効化しています(赤矢印の2番)。
個人的には、このサスティンペダルを使用するアプローチが、編集の容易さや視覚的な分かりやすさから、現状におけるベターな方法だと考えています。
出力マッピングの「Offイベント」について
今回のアップデートでの追加機能として、出力マッピングに「Offイベント」の設定が加わりました。
下記画像の赤矢印をクリックすることで「Offイベント」の設定に切り替えることが出来ます。
今回のバージョンから、コントローラーレーン上での奏法指示に対して「リセット」という指示を出せるようになったのですが、この指示は「Offイベント」と組み合わせて使用するものです。
この「リセット」をおこなうと、そのタイミングで、直前の奏法指示(サウンドスロット)に設定された「Offイベント」が出力されます。
これにより例えば、ミュートやレガートのオンオフといった指示を一つのサウンドスロットで済ませることが出来るため、よりシンプルな表示と操作が可能になります。
【注意】Offイベントとリハーサル音の関係について
細かい注意点なのですが、OffイベントによるMIDI情報は、ノートのリハーサル音(選択や移動の際になる確認用の音声)に反映されないという問題(仕様?)があります。
一例をお見せします。
赤矢印の1番では、直前の「cc 64」という奏法(サスティンペダル・オン)をリセットする指示を行っており、ここでサスティンペダル・オフのMIDI情報が送られます。
当然、通常のプレイバック時には、赤矢印の2番以降のノートはサスティンペダルがオフの状態で再生されます。
しかし、赤矢印の2番以降のノートを選択するとリハーサル音が鳴ったままになり、ノートを移動させたり再生を開始するまで音が止まらなくなってしまいます。
これは前後するMIDIパート間でも発生します。つまりMIDI情報のチェイス(そのトラックのそれまでのMIDI情報の整合性チェック)が、リセット機能には適用されていないと考えられます。
なお、この問題は、リセット機能を用いるのではなく「オフにする専用の奏法指示を用意する」という方法をとれば起きません。リハーサル音に問題が生じた場合はリセット機能の利用を避けて下さい。
サウンドスロットの「アドオン機能」による、グループ機能の改善
複数のアーティキュレーションを組み合わせて複雑な奏法指示をおこなう仕組みである「グループ機能」は、エクスプレッションマップ登場時から存在していました。
例えば、様々な奏法とミュートなどをマトリクス的に組み合わせて指示するスタイルは、このグループ機能を駆使することで可能になるものです。
ただ、設定画面の操作性がお世辞にも良いとは言えず、編集機能は貧弱と言わざるを得ない状態でしたので、実際に実行するにはハードルが高かったと言えます。
グループを使って複雑なマップを構築しようとすると、サウンドスロットの数が「組み合わせの掛け算」で爆発的に増えてしまうのですが、それを管理するためのUIが追いついていなかったのです。
例えば、15個の個別奏法と、演奏バリエーションの切り替え(ミュートやダンパーペダルのオンオフなど)が2種類、さらに3種類の奏法変化を含むマップにおいては、合計で90個ものサウンドスロットが必要になります。
また、25個の基本奏法と25個の装飾奏法をもつマップにおいては、なんと合計で625個という大量のサウンドスロットを用意しなくてはなりませんので、もはや手作業では不可能なレベルです。
さらに問題だったのは、第一印象がもたらす仕組みのイメージと、実際の仕組みとが乖離してしまっていた点です。そのため、グループ機能を使いこなせないユーザーも多く、とても敷居の高い機能として捉えられてしまい、その利便性は理解され辛いものとなっていました。
そんな中、今回のアップデートで「アドオン・サウンドスロット」が追加されたことにより、「アーティキュレーションを組み合わせた指示」がシンプルな形で可能になりました。
アドオンを利用するには、まず赤矢印の1番をクリックして「アドオン・サウンドスロット」を追加します。
アーティキュレーションの選択(もしくはカスタムアーティキュレーションの作成)をすると、パズルのピースのアイコンがついたサウンドスロットが追加されますので、ここに出力マッピングを施します。
上記画像では、「CC64」「CC64 Off」というアドオン・サウンドスロットを新規作成し、「cc 64」「OFF」というカスタムアーティキュレーションを作成して指定してあります(赤矢印の2番)。
次に新規グループを作成し、先程のアーティキュレーションをこのグループへ移動させます(赤矢印の3番)。
ここまでの操作で、一つ目のグループと二つ目のグループの奏法の組み合わせ指示が可能になります。
あとはキーエディターのコントローラーレーン上で、それぞれのグループから任意の奏法を選択すれば、両方の出力マッピングの指示が合わさってプレイバックされます。
アーティキュレーションの「グループ機能」のUI刷新
もうひとつの新機能として、キーエディターのコントローラー・レーンにおいて、アーティキュレーションの表示が改善され、各グループごとに展開および折りたたみが可能になりました。
これまでは、奏法の全てが常に縦に並んでいたため、大量の奏法が登録されている場合はレーンの縦サイズを広くするしかなく、ノート編集画面が狭くなってしまい視認性が下がっていました。
場合によっては、レーン上の奏法名が読み取れないほどのサイズになってしまうため、実用面での限界を抱えていたのも事実です。
しかし今回のアップデートにより、グループごとに展開&折りたたみが出来るようになったことで、多くの奏法を持つ音源でもコントローラー・レーン上で分かりやすく表示できるようになりました。
上記画像はグループを折りたたんだ状態を示しています。アーティキュレーションの「赤矢印」の部分をクリックすることで、グループ内の奏法一覧を表示して選択することが可能です。
例えば、EastWestの「Hollywood Orchestra」やSpitfire Audioの「BBC Symphonic Orchestra」など、数十種類のアーティキュレーションを持つ音源を扱う際、キーエディター上での視認性が上がり、作業効率もアップします。
また、色分けされたアーティキュレーション名が表示される専用レーンも用意されたため、視覚的な分かりやすさが向上しています。
最後に~制作者として今思うこと
エクスプレッションマップは、もともと「楽譜の言語とMIDIの言語をつなぐ翻訳レイヤー」として機能してきました。作曲の段階ではアーティキュレーションを直感的に入力し、出力側の技術的な詳細(MIDI情報)はマップが受け持つ、という役割分担が想定されていたのです。
登場当初からCubaseの楽譜機能との統合が図られていることからも、それは見て取れます。
そしてその翻訳レイヤーの利便性と精度が、今回のアップデートで明らかに上がったと言えるでしょう。
奏法ごとのタイミング調整は、音楽的な意図をより忠実にMIDIデータに反映させるための機能です。色分けとグループの折りたたみは、制作者が音楽的な発想に集中するための環境を整えます。そしてアドオンは、複雑な奏法指示を直感的に把握しやすくしてくれます。
どれも、新機能を増やすためではなく、制作の質を支えるための改善です。別の見方をすると、これまで存在していた機能の「ラッピング」を刷新して整えることによって、そのポテンシャルを十分に発揮できるようにしたのだと言えます。
エクスプレッションマップは、Cubaseで複雑な演奏表現を用いて制作する上での中枢機能のひとつです。今後のバージョンでも、継続的に手が入ることを期待しています。
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