レビュー『作曲家の世界』パウル・ヒンデミット著

ブックレビュー
作曲家の世界(もういちど読みたい2)
音楽之友社
パウル ヒンデミット (著), 佐藤 浩 (翻訳)

(初出2002年4月9日)

ドイツの作曲家ヒンデミットによる、自らの音楽論・作曲論を自伝的な要素も含めつつ書かれた本です。原書は1952年にドイツで出版されたもので、ハーバード大学での講義録をもとにして書かれました。時代背景などの面で古さを感じさせる面もありますが、作曲する者としての思いが書かれたその内容は、大きな価値を持ったものです。

作曲家にとって音楽的霊感とは何なのか、作曲の素材の持つ意味とそれがもたらすものについて等、かなり踏み込んだ部分まで作曲の内実について語られています。本書自体が日本国内で再版されたものであり文章が翻訳調で硬く、また当時の音楽産業や思想界のことなどの背景知識もある程度必要とされるため、初心者にはお勧めしにくいですが、今なお一読に値する本だと思います。

著者のヒンデミットは、作曲家として残した数多くの作品と共に、教育者としての活動が思い起こされます。自らの信じる音楽の姿を追い求め、またそれを広めようと腐心した人生だったと言えるでしょう。当時の音楽を取り巻く状況に対する強い危機感と、音楽が本来あるべき姿への回帰を願う彼の切なる想いがありましたが、それは当時の世間とはズレが生じてしまう結果を生みます。

ヒンデミットが生きた20世紀前半は彼から見ると、音楽が大量生産され、商業的な成功や安易な娯楽へと傾倒していく時代と言えました。彼は、そのような風潮が音楽の本質を蝕み、作曲家の地位を貶めていると感じていたのです。

いわば「音楽の麻薬的側面(快楽的享受)」ばかりを追い求める世間の風潮には、さぞかし苦々しい思いをしていたことでしょう。そして現代に著者が現れたとしたら、その風潮がある種のジャンルにおいては純化され、独自の音楽スタイルとして存在していることに驚いたのかもしれません。

また、音楽が専門化し、作曲家と一般の聴衆との間に溝が生まれていたことも、ヒンデミットが問題視していた点です。本書はその溝を埋め、聴衆が音楽の創造過程を理解し、音楽をより深く享受できるようになることを意図しているとのことです。著者は「本書の狙いは、音楽を書く人間の活動の舞台である小宇宙の中に、読者を案内することであり、そのため主として専門家以外の人に話しかけている」と述べており、読者を作曲家の内面へと誘うことを目的としていることが示されています。

さて本書では、そんな著者の苦々しさと希望の双方が顔を見せながら、作曲行為の内実と言えるようなものについて言及しています。そこでは「インスピレーションあふれる神秘的な作曲」という幻想のベールを剥ぎ取るような勢いが感じられ、とても興味深く思えます。そこで示される著者の音楽哲学は、実践的かつ根源的であり、音楽を単なる音の組み合わせではなくより深い精神的な営みとして捉えていることが伺えます。

具体的な内容としては、著者は音楽の創造において「知的作用」と「情的反応」が密接に結びついていると説いています。感情の動きを音楽の創造の源泉として認めつつも、それが無秩序に表出するのではなく、論理的な思考と技術的な規律によって統御されるべきだと主張します。

例えば「第二章 音楽における知的作用」では、音楽の構成における論理的な思考の重要性を説いており、音楽が単なる衝動の産物ではなく、綿密な計画と知的な組み立てによって成り立っていることを強調しています。

また「第三章 音楽における情的反応」では、音楽が引き起こす感情は、直接的な感情そのものではなく、「感情の記憶」であると述べています。これは、音楽が感情そのものを「表現」するのではなく、聴き手の内面に存在する感情の「イメージ」や「記憶」を呼び起こすという、著者独特の音楽観を示しており、その音楽哲学の核心の一つと言えるでしょう。

そして、多くの人が神秘的なものとして捉えがちな「音楽的霊感」については、著者は現実的な視点を提供しています。「第四章 音楽的霊感」で「霊感」を、単なる降って湧いたようなものではなく、長年の訓練と経験、そして絶え間ない思考の蓄積によって生まれるものとして描いています。つまり、作曲家は日々の地道な努力を通じて、創造の源泉を自ら耕し、育むことができるという考え方です。

ヒンデミットのこうした音楽哲学は、技術的な側面だけでなく、作曲という営みの本質について改めて考えさせられるきっかけになるのではないでしょうか。

作曲家の世界(もういちど読みたい2)
音楽之友社
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パウル ヒンデミット (著), 佐藤 浩 (翻訳)

『作曲家の世界』の目次

  • はしがき
  • 第一章 哲学的考察
  • 第二章 音楽における知的作用
  • 第三章 音楽における情的反応
  • 第四章 音楽的霊感
  • 第五章 作曲の素材
  • 第六章 技術と様式
  • 第七章 演奏家
  • 第八章 楽器について
  • 第九章 教育
  • 第十章 実際面
  • 第十一章 環境
  • 訳者解説/新装版によせて

著者について

パウル・ヒンデミット

世界的に有名な作曲家であって、1895年にドイツのハナウで生まれた。彼は間もなくドイツの第一流の若い作曲家として認められたが、それにも拘らず、非ドイツ的な作品を書いたという理由で、公に弾劾された。彼は管弦楽、吹奏楽、合唱、独唱、室内楽、バレエ、及び歌劇のための作品を書いている。彼はまたドイツ語及び英語の何冊かの楽理書の著者である。現在(*当時)彼はイエール大学の楽理教授であるが、同時にスイスのチューリッヒ大学の音楽教授として隔年に講義を行っている。(本書より引用)