晩秋という和音~二季の時代に思うこと

エッセイ

私の好きな季節は晩秋です。

夏の暑さが去り、空気ががらりと入れ替わって冬を予感させ始める、あの時期です。ついこの間まで半袖でいたのに、ふと気づけば上着を羽織らないと風邪を引きそうな空気になっています。カーディガンやジャケットを手に取る、その小さな手間が妙に心地よく感じられます。

冬の寒さとは明らかに違う、夏を経た身体だからこそ感じ取れる独特の肌寒さ。暖かく過ごすために何かを必要とする、その「必要とすること」自体が一つの豊かさになっているような、そんな季節です。

ただ、これは「快適さ」の話ではありません。手がかじかめば凍える気分になりますし、体の震えは思考を鈍らせることもあります。それでも「やれやれ、夏は終わり秋も深まっている」と思いながら上着の前を合わせる、その所作の中に何か大切なものが宿っているように感じられます。

晩秋が好きだということと、それが快適だということは、必ずしも直結していない──この区別は、実は重要なことだと思っています。

では、その「大切なもの」とは何でしょうか。それはおそらく、季節の移行というプロセスそのものが持つ価値、言い換えるなら文脈の力ではないかと思います。

作曲をしている中で、このことを別の角度から実感する場面があります。ある和音が心地よく響くかどうかは、その和音単体の性質だけでは決まりません。前後にどんな和音が置かれ、どんな流れの中に位置しているかによって、同じ響きがまったく異なる意味と感触を帯びてきます。

文脈を丁寧に組み立て、ときに意図的に乱したり崩したりすることで、ある一つの響きは初めてその真の価値を発揮します。

晩秋の肌寒さも、これと同じ構造を持っているように思います。夏という長いパッセージを経てきたからこそ、秋の空気は独特の響きを持って身体に届くわけです。自然はそのようにして、四季という作品を私たちに聴かせているのかもしれません。

そう考えると、近年よく耳にするようになった「二季」という言葉が示す事態の本質が、少し違った輪郭を帯びて見えてきます。

「二季」とは、気候変動によって春と秋が縮小し、夏と冬だけが残っていく現象を指す言葉です。2025年の流行語にも選ばれ、記録的な猛暑と極端な気温変化が続く日本の気候を、四季ではなく二季として捉え直す動きが広がっています。

これは単に季節の数が減るという話ではなく、私たちが長い時をかけて育ててきた「文脈」が失われていくことを意味しています。晩秋という響きは、それに先行する夏と、それに続く冬があってはじめて成立します。その文脈が変質すれば、晩秋という体験そのものの味わいも変わらざるを得ません。

二季化への危惧の正体は、気候への不安というよりも、対比や相対的な変化への感受性というものが、それを使われる機会を失って少しずつ鈍麻し喪失していくことへの、どこか無自覚な恐れなのかもしれません。

そして恐らく、その喪失は単なる一時的な変化ではなく、ある種の不可逆性を伴うものでもあるのでしょう。一度失われた文脈は、たとえ似た条件が再び揃ったとしても、かつてと同じかたちでは戻ってきません。晩秋の空気が、かつて身体に触れていたあの質感のまま、再び訪れることはもう無いのかもしれません。

もっとも、喪失とはそれで完結してしまうものでは無いということも、自身の経験から感じています。

かつて、自分の周囲の人間関係が変化し失われた体験が、以前では届かなかった深度での自己理解をもたらしてくれたことがあります。そうした自己理解があってはじめて、他者への理解もまた新たな深さに達することが出来るものだと感じています。

失われた体験そのものは消えてしまうのではなく、喪失を契機として新たな結晶化を遂げ、それまでとは異なる価値へと変わっていくのだと思うのです。メランコリーやノスタルジアを背後に持ちながらも、むしろそれゆえに魅力的な何かへと変わっていくのでしょう。

二季の時代において晩秋が失われるとしても、おそらく同じことが起きるのではないかと思っています。二季という新たな文脈の中で「晩秋的なるもの」を感受し味わえる感性が、自分の中に育まれていくのではないか、という予感があります。

微細さや繊細さ、儚さといったものは、大きく激しいものに圧殺されるわけではありません。そういったものの周縁に、あるいは異なるレイヤーの中に、端然と存在し続け、見出されるのを待っているものなのだと思います。

音楽作品においても、激しいフォルテッシモの直後にこそ、ピアニッシモの一音が最も深く響くことがあります。大きな動きの只中にあるからこそ、かえって繊細なものへの感度が研ぎ澄まされる瞬間があるものです。

二季という荒々しい現実の中でも、そういった静かなものに気づける自分でありたい──そう思いながら、次にまた訪れる、恐らく短いであろう秋の空気を、出来るだけ丁寧に吸い込んでいくことでしょう。