太陽の創作、月の創作~制作環境の照明考

エッセイ

AI音声による「この記事の解説Podcast」

居住空間を照らす照明には、用途に応じていくつかの選択肢が存在します。

読書や細かな作業に適した青白い「昼光色」、自然な太陽光に近い「昼白色」、そして焚火のような温かみを持つオレンジ色の「電球色」です。

私のプライベートスタジオ兼書斎では、長年にわたり「昼白色」の照明を採用していました。

そこに明確な意図があったわけではありません。かつて転居を機に新しい生活を始める際、日中と同じ活動的な光の下で過ごすという、漠然とした「心機一転」のイメージで選んだに過ぎませんでした。

その明るい光を、新しい季節の始まりに太陽の下で動き出すような、前向きな象徴として受け入れていたのだと思います。

しかし、その視覚的な明るさとは裏腹に、意識の表層には現れないレベルでの違和感が、長い年月をかけて蓄積されていたのかもしれません。無自覚な集中力の散漫や慢性的な疲労感、それに伴う精神的な不調和、あるいは、もしかすると正体不明の焦燥感といったものが、常に頭上を漂っていたのかもしれません。

そのような折、ふとした瞬間に以前住んでいた部屋の光景が脳裏に蘇りました。そこに灯っていたのは、昼白色とは対極にある、穏やかな電球色の光でした。

それは、夜の闇の中に、ほのかな温かさが滲み出る静謐な光景です。焚火や蝋燭の灯火にも似たその色は、太古から人間が親しんできた「夜の安息」と「内省」を象徴する光と言えます。

私は何かを確かめるような気持ちで、既存の照明を電球色へと付け替えてみました。

その瞬間、部屋の空気は一変しました。光の色が変わることで、物理的な空間のみならず、私自身の内面までが「本来あるべき場所」へと収束していくような感覚が生じたのです。

例えるならば、散らばっていた精神の破片が磁石に引き寄せられるように一つにまとまり、思考の輪郭が明瞭に浮かび上がってくるような感覚です。それは、自分の「巣」の中で、静かに集中を取り戻した自分を再発見する体験でもありました。

この体験は、私にある種の二元論的なイメージをもたらしました。

昼白色の光が象徴するのは、いわば「太陽」による創作です。それは外部に向けてエネルギーを発散し、客観的な論理や構造を構築することに長けた性質を持ちます。

緻密な設計や複雑な構想を突き詰める作業には、この光がもたらす「緊張」と「覚醒」が適しているのかもしれません。それは外的な評価や他者との関係性の中で、自らの作品を位置づけようとする姿勢にも通じるものです。

一方で、電球色の光が象徴するのは「夜」による創作であり、太陽と対置するならば「月」による創作と言えるでしょう。

これは自身を外部の喧騒から引き離し、ひたすら内面へと深く潜っていく「沈思」を促すイメージです。振り返れば、私の創作活動の多くは、この「月」の引力の下で育まれてきたものだったと思い至ります。

「孤独」や「内省」というキーワードは、これまでの私の創作や音楽論において、常に核心的な位置を占めてきました。それは単なる精神的な傾向だけでなく、光の色という物理的な環境によっても規定されていたのかもしれません。

夜の静寂の中で、電球色の光を頼りに内なる記憶や感情と対話する時間。それは世間の視線から解き放たれ、自分自身とのみ向き合うための、厳粛な舞台装置であると言えます。

今回の一件は、「太陽による発散と緊張」よりも「月による沈思と覚醒」が自分にとって大切だったのだと、改めて実感した出来事でした。

「創作を振り返り、原点に立ち返ること」とは、単に過去の技術や手法をなぞることに留まりません。自分を育んだ光の色、そしてその光が呼び覚ます内面的な風景を再発見する旅によっても、それは為され得るのでしょう。